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2019年2月25日月曜日

D.スカルラッティについて知ってみよう。(1)イタリア時代


イタリア・ナポリ出身でバロック時代の鍵盤曲に新しい用法を取り入れた重要な作曲家、ドメニコ・スカルラッティ。J.S.バッハやヘンデルと同様、1865年生まれの作曲家です。楽曲セミナーでD.スカルラッティの鍵盤ソナタを勉強するにあたり、生い立ちを調べ直してみることにしました。

1685年に10人兄弟の6番目の子としてナポリに生まれたドメニコ。父親はオペラと教会音楽の作曲家として当時から著名であったアレサンドロ・スカルラッティです。子ども時代の教育については詳しくは分からないとしている場合も多いですが、www.nndb.combritannica.com、そしてRalph Kirkpatrickが書いたDomenico Scarlattiという著書に詳細な記述があり、その内容には興味深いところがあります。


最初に音楽の手ほどきを受けた:父親のアレサンドロから。
しかし、Gaetano Greco(c.1657-1728)の生徒であった可能性もあるようです。

1701年9月13日:オルガニスト兼作曲家として王室教会(Royal Chapel)に雇われる。

1703年に最初のオペラ "L'Ottavia restituita al trono"を書いています。冒頭のOvertureはコレッリを思い起こさせるような展開です。若いドメニコが作曲のお手本にしただろう、当時のイタリアの流行りのスタイルを感じられる作品ではないでしょうか。


 Orchestre La Capella de Turchini Direction Antonio Florio Ottavia: Yolanda Auyanet Nerone: Filippo Mineccia Poppea: Maria Grazia Schiavo Floro: Maria Ercolano Rosilda: Valentina Varriale Belisa: Giuseppe de Vittiorio Dorillo: Paolo Lopez Festival International d'Opera de Beaune 2008

1704年:55のアリアと1つのデュエット曲から出来たPollaroliのIrene を創り変え、33のアリアをまとめることに貢献。
その後すぐに父よりヴェニスに送られ、Francesco Gasparini (1661-1727)の元で勉強、
Thomas Roseingrave (1690/1-1766)とも親しくなったそう。

この時までに既に卓越した鍵盤奏者として有名になっていたドメニコ。ローマでヘンデルとチェンバロおよびオルガンの腕前を枢機卿Cardinal Ottoboniの宮殿で競いあったという逸話があります。その様子を伝えるビデオがYouTubeであるのですが、それがどんな風に競い合ったかを表していて面白い。昔は即興して弾くのが当たり前だったわけですが、そのやりとりが今のヒップホップのダンス・バトルを見るようです。


あらゆるモチーフのパターンと和声の進行パターンがしっかり身についていないと対処できない印象です。

1709年:当時ローマに住んでいた、ポーランド王妃・Marie Casimire(1641-1716) のもとで彼女がローマを離れる1714年まで働き、彼女のプライベート劇場のためにオペラを何作品か書いた。脚本は全て王妃の秘書であったCarlo Sigismondo Capeciによるものだそうです。

1713年までにバチカンとも関係を築いた。
1715~1719:St.Peter'sのthe Julian Chapelで音楽楽長(Maestro di Cappella)に従事。
この頃に書かれた作品、10声のために書かれた教会音楽が次の曲です。


Live recording of Domenico Scarlatti's Stabat Mater with Ars Nova Copenhagen and Paul Hillier.
Allan Rasmussen, Organ. Recorded live at Garnisonskirken Copenhagen April 2014. Video by Julie Sunflower

歌詞:
The mother stood sorrowing by the cross, weeping while her Son hung there;
Whose soul, lamenting, sorrowing and grieving, has been pierced by the sword.

O how sad and afflicted was that blessed Mother of her only-begotten Son.
Who wept and grieved and trembled to behold the torment of her glorious child.

What man would not weep if he saw the Mother of Christ in such torment?
Who could not be sorrowful to behold the pious mother grieving with her Son?
For the sins of His people she saw Jesus in torment and subjected to the whip.
She saw her sweet Son dying, forsaken, as He gave up the spirit.

Ah Mother, fount of love, let me feel the force of grief, that I may grieve with you.
 Make my heart burn with the love of Christ, the God, that I may be pleasing to Him.

Holy Mother, bring this to pass, transfix the wounds of Him who is crucified firmly onto my heart.
Of your wounded Son, who deigns to suffer for my sake, let me share the pains.
Make me truly weep with you, grieving with Him who is crucified so that I may live.
 To stand by the cross with you, to be freely joined with you in lamentation, I desire.

Virgin of virgins, resplendent, do not now be harsh towards me, let me weep with you.
Virgin of virgins, resplendent, do not now be harsh towards me, let me weep with you.

Let me carry Christ's death, the destiny of his passion, and meditate upon his wounds.
Let me suffer the wounds of that cross, steeped in love of your Son. Fired and excited by you,

O Virgin, let me be defended on the day of judgement.
Let me be shielded by the cross, protected by Christ's death, cherished by grace.
When my body dies, let my soul be given the glory of paradise. Amen.

その時期にオペラも書かれたようなのですが、あまり成功したとは言えない状況。。

1714年、ポルトガルの王子誕生を讃えるカンタータを作曲した事でポルトガル宮廷との縁が出来たドメニコ。1719年9月にバチカンでの仕事を辞め、1720年の終わりまでポルトガルのリスボンに滞在します。この時、彼が作曲したセレナータ、Contesa delle Stagioniが宮廷で演奏されました。



これがきっかけとなって、リスボンのKing John Vの音楽楽長に就任、すぐに王の弟であるDon Antonioと将来、ドメニコの大いなるパトロンとなるマリア・マグダレーナ・バルバラ王妃の音楽楽長にも就任したのです。

彼の人生が大きく動くのが1725年、父親のアレサンドロ・スカルラッティが亡くなってからのこと。1728年、イタリアを訪れたローマで若い娘、Maria Caterina Gentiliと結婚。ドメニコ43歳。当時としては遅い結婚でしたが、彼女が亡くなる1739年までの間に彼女とは6人の子供を授かりました。同じ1728年、マリア・マグダレーナ・バルバラ王妃はのちのスペイン国王、フェルデナンド6世と結婚、スカルラッティは彼らと一緒にスペインに渡るのでした。因みにドメニコは最初の妻が亡くなった後、スペイン人のAnastasia Maxarti Ximenesと再婚。4人の子供を授かりました。

ドメニコがスペインに行ってからの話はまた次の機会で。

2019年1月25日金曜日

同じ曲を様々な演奏家で聴き比べる。Scarlati: Sonata in D Minor, K.9

次回の楽曲セミナーでは、スカルラッティのソナタニ短調 K.9を勉強します。この曲はスカルラッティの曲の中でも、多くのピアニストが演奏する、大変ポピュラーな楽曲だと思います。ちょっとセンチメンタルなメロディーが大変美しい曲です。パストラーレ(牧歌風)という副題の付いている演奏もありました。出だしはこんな感じです。


どんな解釈をして、どんな音でどのように弾くのかを考える時、様々な演奏家の演奏を聴き比べてみると、非常に勉強になります。

まずはルーマニア出身のピアニスト、ディヌ・リパッティ (1917-1950)です。
透明で澄んだ音色で非常に美しく、私も個人的に大好きなピアニストです。


次のは大変興味深い楽器と演奏です。

Dongsok Shin performs the Sonata in d minor, K.9 by Domenico Scarlatti (1685-1757) on the earliest known surviving piano, made by the instrument's inventor, Bartolomeo Cristofori (1655-1731), in Florence, 1720. Scarlatti's keyboard compositions were performed on both the harpsichord and the early piano.
 あのクリストフォリがフィレンツェで最初に生み出したフォルテピアノ の現存版!フィレンツェ・1720年製だそうです。


次はイタリアのピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920-1995)。このビデオはスカルラッティのソナタ5曲分が収録されています。イタリア人らしい、明るく、快活で歯切れの良い軽いタッチですが、音色に透明感があり、非常に美しいです。曲目はビデオの下に。ヘルシンキで1969年に収録されたビデオだそうです。


Domenico Scarlatti Sonata K.11 0:00 Sonata K.159 3:01 Sonata K.322 5:46 Sonata K.9 9:10 Sonata K.27 12:47 Arturo Benedetti Michelangeli Live recording, Helsinki, 22.V.1969

次の動画はまたチェンバロの演奏です。テンポも随分ゆっくりだし、随分即興的に変化を付けて演奏しています。1927年ブラジル生まれの演奏家のようです。

Part of the DVD to commemorate 250 years of Scarlatti, By Roberto de Regina Harpsichord

カナダ人ピアニスト、グレン・グールド(1932-1982)の演奏も見つけました。


一風極端な解釈で有名なグールドですが、参考になることもあります。
音は非常に澄んでいて綺麗。グールドについて知りたい方は次のリンクも参考にしてください。Wikipediaにある説明です。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89

バルセロナ生まれ、スペイン人ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャ(1923-2005)の演奏も聴いてみましょう。イーストマンにいた時に一度だけ彼女の演奏を生で聴いたことがありますが、あの演奏からは想像もつかないくらいとっても小柄で、実は手も小さく、Wikipediaにも「手が小さく8度しか届かない中で美しく照り輝く音色と正確な演奏技巧、音楽の自然な呼吸と安定感ある曲の運びによって、モーツァルトショパンシューベルトシューマンラフマニノフにも優れた解釈を示した。」と解説があるくらいです。


では、1957年生まれのロシア人ピアニスト、指揮者にして作曲家ミカエル・プレトノフはどんな演奏でしょうか?


かなり個性的な演奏も、、
音がかなり足されていますし、低音を足して厚みをもたせてるところもあるかも。

色んなバックグラウンドを持つピアニストやハープシコーディストの演奏を聴くと、参考になります。今は様々な演奏が手軽に聴けるので、もっと色々聴き比べて、何処がどんな風に違うのか、自分だったらどんな演奏が好みなのか、色々考えながら聴いてみてくださいね。

2018年11月12日月曜日

こんな楽器見たことなかった!ルート・ハープシコード

明日の楽曲セミナーで勉強する曲はバッハの小さなプレリュード ハ短調 BWV.999 です。
どんな曲かというと、、、


最初に調べた時、リュートのために書かれた曲だと出てきました。
バロック・リュートではこんな感じの音色になります。


こんなリュートもありました。


更に調べていくと、元々こんな楽器に書かれた曲だと出てきました。
その名もリュート・ハープシコード!
Wikipediaから写真をお借りしました。
リュートとハープシコードが合体したような楽器です。
















どんな音が鳴るのか、気になったから、調べてみたら、出てきました!


ハープシコードよりは、少し深みがあるというか、ちょっと丸い、暗い音のような気がします。バッハはこの楽器を気に入っていたようです。今は殆ど現存しない楽器で、ここで演奏されているのは新たに作られた復刻版だと思います。
昔は色々試されていたのですね、、、
非常に興味が湧く楽器です。


2018年11月8日木曜日

ドイツ民謡

ぴあのレッスンくらぶ2では、現在、チャイコフスキーの「子供のためのアルバム」作品39を勉強中です。

この「子供のためのアルバム」は、チャイコフスキー38歳、1878年に作曲されました。

旅好きだったチャイコフスキー。

その前の年からヨーロッパ旅行に出かけていたチャイコフスキーは、その旅行後に妹の嫁ぎ先を訪れていて、当時7歳の甥ウラディミール・ダヴィドフにこの曲集を捧げたそうです。

その旅の影響かどうか、曲集には、例えば、「ドイツの歌」「ナポリの歌」「フランスの古い歌」「ポルカ」「カマリンスカヤ(ロシアの踊り)」「ワルツ(ちょっとウインナーワルツっぽい)」など、ヨーロッパ各地の民謡やダンスにちなんだ曲がたくさん含まれていて、まるで世界旅行に出かけているかのようです。

ヨーロッパの民族舞踏といっても、あまり日本人には馴染みがありません。日本でも地方、地方で独特な盆踊りがあるように、ヨーロッパも国や地方によって、風習も衣装も全てかなり違う。見るだけでは何処の地域のものなのか、なかなか分かりづらいですが、百聞は一見にしかず、民謡を取り上げる際には、その国の色んな地方にまつわる民族舞踏を観てもらい、雰囲気や衣装、ダンスのステップやリズムを感じてもらうようにしています。

今回はドイツの民謡。
チャイコフスキーの曲は、チロル地方のヨーデルを模写してる??と思えるモチーフの動きがあるのです。


ヨーデルはこんな感じ。裏声が非常に特徴的です。


とっても有名な方のようです。

ドイツのダンスは???そう思って調べてみました。
ワルツのルーツとなるレンドラーなどかな、、、と思っていたけれど、想像を越えて、色んなダンスが見つかりました。一番印象的なのが、男性のダンス。衣装も独特。木こりたち?が仕事の合間や作業を終えてビールを飲む際に踊ったのか、力強さと荒々しさと素朴さが入り混じる、楽しいダンスなのだけど、足と手をパチンと合わせてみたり、床を踏み鳴らしてみたり、なかなか激しい。


Die Trauner BOCKLEDER-TRETER - Schuhplattler-Gruppe des Heimat- und Trachtenverein Traun/Oberoesterreich - fuehren anlaesslich des Maibaum-Aufstellens 2012 am Hauptplatz Traun den HOLZHACKER-Schuhplattler auf.


挙句に、空に投げ飛ばされる始末。。。(笑)


 下に落とされないことを願うばかりです、、、

女性と一緒に踊るダンスはレンドラーのような動きで可愛らしい。Rheinländer(ラインランダー)と言うそうです。Wikipediaによると、ラインランダーはドイツ、オーストリア、スイス、スカンジナビアの民族舞踊で、これは、ポルカに似ており、スコットランドとバイエルンのポーランドに関連しているそうです。



 こんなのもありました。


 糸を紡ぐ仕事をする女の人たちが踊ったところから出ている?と思われるダンスがあったので、ここに紹介。


衣装を見ても、チロル地方と、他の地方の差なのかな?と思ったりもします。また、色々な職業によって、生まれた踊りも違うのかな、、という気もします。民謡やフォークダンスには庶民の暮らしが反映されているような気がする。色々興味が湧きます。

ドイツの民族舞踏を調べていくうちに、いくつかの種類があることがわかりました。もう少し下調べをしてから、また改めて書きます〜。
今日のところは、色んな面白いダンスがあると言うことで。。

2018年10月21日日曜日

組曲のリズムを感じよう。〜ジーグ〜

Wikipediaによると、ジーグは元々アイルランドのjig(ジグ)に由来するバロックダンスで、17世紀中頃にフランスに入ってきました。ジーグは宮廷舞踏には取り入れられなかったようですが、貴族や社会的行事などの集まりではよく踊られたダンスのようです。

鍵盤楽器の組曲の中では大抵最後に登場するのがテンポも早く、躍動的で、飛び跳ねる動作がある、このジーグ。3/8拍子が多いですが、6/8, 6/4, 9/8, 12/8を取ることもあります。中にはJ.S.バッハのフランス組曲 BWV812のように2/2で書かれたものもあります。

特徴としては、書式は対位法的。しばしば3拍目にアクセントがあり、これが民族調的な躍動感を生む要素となっています。ジーグがどんなステップなのか、いくつかの動画を観て観ましょう。








元になったであろう、アイリッシュ系の民族ダンスのジーグも見つけました!確かにステップにギャロップのような飛び跳ねる部分があるところがアイリッシュダンスを彷彿させるし、ステップが可愛くて面白い。





もう一度、フランスに渡った形のジーグのステップを見てみましょう。足の上げ方と手の形に非常に特徴があり、優雅でエレガントに見えます。





組曲に含まれる舞曲全ての特徴をなかなか覚えきれないのですが、バロックダンスの歴史や哲学、ステップなどを教えるビデオがあったので、それで勉強してみようかなここに貼り付けることにします。


英語ですが、観てみるときっと良い勉強になると思います。




2018年10月3日水曜日

ヨーロッパの領地獲得合戦の歴史が分かる![1000-2013]





ヨーロッパがどのように変貌を遂げてきたのかを領地獲得合戦から見て取れる!

栄光と衰退、一目瞭然です。

世界史を勉強している人たちも必見です!

和声の変化を追う; 中世からルネサンス、そしてバロックへ。

バッハのインヴェンションを教えるにあたって、もう一度、和声がどのように変化していったのかを復習しようと思い、本を開けました。あ!そうだった!改めて読み返すと思い出すことも多く、何度も読み返すもんだなあと思った次第。。

私のおすすめの一冊がこちら。「はじめての音楽史」 。
200ページとちょっとだけど、大事なポイントはしっかり押さえられている。
教科書的な本の割には、口調が物語チックで読みやすいと思う。


中世の音楽は数比に基づいて音程を理論的に捉えていたので、8度(2:1)、5度(3:2)、4度(4:3)を協和音程、3度や6度は不協和音程と捉えていました。14世紀を代表する音楽家、ギョーム・ド・マショー(1300頃~1377)の「ノートルダム・ミサ曲」のキリエを聴いてみましょう。


非常に特徴的で斬新な響き。
私は4度と5度の音程は硬くて四角い和声の響きだなあと思うのですが、そう感じるのは私だけかな、、?

これが15世紀初頭、フランス王位継承権をめぐるフランス王国とイギリス王国の間に起こった百年戦争(1337~1453) がきっかけで、イギリスより3度と6度が多用される音楽が伝わり、その甘美さより3度、6度も協和音程とする動きが起こります。ここで5度の音程比からオクターヴ内の音を決めるピュタゴラス音律から、3度と6度も簡単な数比で規定し、より調和した響きを生む純正律へと移行したようです。
イギリスから3度と6度の響きを伝えた立役者、ジョン・ダンスタブル(1390頃~1453)が書いた1曲を聴いてみます。


 John Dunstable; Veni Sancte Spiritus/Veni Creator Spiritus

やはり、先のマショーに比べて、柔らかい印象を持ちます。

ダンスタブルに影響を受け、初期ルネサンスを代表する音楽家の一人が現在北フランスからオランダ、ベルギーに当たるブルゴーニュ公領で活躍しただけでなく、ローマ、ボローニャ、フェラーラなどのイタリア各地の宮廷でも活動したブルゴーニュ楽派ギヨーム・デュファイ(1397~1474)の音楽はというと、、、



ちなみに。。。
中世に誕生したグレゴリア聖歌の中で歌われている"Ave Maris Stella"があったので、ご紹介します。


歌詞の対訳が掲載されたページがあったので、リンクします。
マリアを讃えた、美しい歌詞です。

歌詞対訳講座:アヴェ・マリス・ステラ
Wikipediaによる解説: アヴェ・マリス・ステラ

15世紀後半、ブルゴーニュ公の力が衰え、公領はフランス公家に接収されます。このフランドル地方出身の音楽家たちがヨーロッパ各地で活躍し、ルネサンス音楽を発展させていきます。その中で高い名声を築いたのがジョスカン・デ・プレ(1450?/55?~1521)。多声ポリフォニー技法を発展させ、歌詞を音楽でも表現することを考慮し始めた作曲家でもあります。一番特徴的なのは、モテットやミサ曲など宗教曲でよく使われている、「通模倣」と呼ばれる技法。同じ楽句を各声部ごとに少しずつずらして模倣的に歌いつなぎます。これは"Ave Maris Stella"ではありませんが、同様にマリアを讃えた歌詞です。




ルネサンス全盛期、イタリア出身の音楽家として最初に有名になり、多くの宗教曲を書き、後世の作曲家たちから厳格対位法(教会旋法による音楽の対位法)のお手本として学ばれることになる音楽家がジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(1525頃~1594)が書いたAve maris stellaがこれ。ジョスカン・デ・プレの層のように繋がれていく通模倣が引き継がれています。



別のブログでも書きましたが、順次進行を主体とした簡素・平穏・緻密な合唱様式はパレストリーナ様式と呼ばれるものです。彼の音楽は調和を崩さないように、ほとんどのところで不協和音の処理が徹底しています。不協和音は弱拍に現れるよう設定され、それも準備、係留、解決を徹底して、変に人々の心を突くような和声の展開はしないようになっています。

この後も長短調の調性感がはっきりしてくるバロック時代の曲と比べてみましょう。同じ歌詞の曲が見つかったので、それを聴いてみます。曲はイタリア人作曲家、クラウディオ・モンテヴェルディ(1567~1643)。


急に和声がぐっと私たちの聞き馴染みのあるものに近づきました!

次のAve maris stellaはア・カペラ(声楽曲)ではなく、器楽による伴奏も入り、フロトッラ(frottola)という15世紀後期から~16世紀初期にイタリアで流行った世俗歌曲の雰囲気に似たメロディーで歌われた楽曲。イタリア人オルガニストで作曲家で聖職者のBonifacio Graziani (1604-1664)が書いたそうです。歌のDuetが生み出す不協和音の響きが強調され、他のバロック初期の音楽とも似た響きがあるので、選んでみました。


もちろん、中世やルネサンスの音楽も世俗音楽と教会音楽は違うので、世俗音楽の変化も追ってみたいと思いますが、こうやって同じ歌詞の曲がベースになっているものを追いかけるのも様式や和声感の変化がわかって面白いと思います。





D.スカルラッティについて知ってみよう。(1)イタリア時代

イタリア・ナポリ出身でバロック時代の鍵盤曲に新しい用法を取り入れた重要な作曲家、ドメニコ・スカルラッティ。J.S.バッハやヘンデルと同様、1865年生まれの作曲家です。楽曲セミナーでD.スカルラッティの鍵盤ソナタを勉強するにあたり、生い立ちを調べ直してみることにしました。 ...